先のことを見透す透視予知学 霊感透視法の発見 霊感透視は必ず的中する!参謀秋山中佐の霊感的中バルチック艦隊全滅す!


 岸内閣時代の自由民主党の幹事長であり、初代東京オリンピック担任相であって、佐藤内閣の今を時めく自民党副総裁である川島正次郎氏が、昭和10年頃、政友会の代議士時代、私(中森莞卿)の友人なる当時牛込の弁護士平井良雄氏の紹介で、氏の親友であった三土忠造氏(故元大蔵大臣)等と共に7、8名にて、大森の川島本邸の応接間において、千葉県出身の霊感行者小熊聖峯師を囲んで「霊感透視実験会」が行われました。
 その席上、三土其他の代議士達から色々の質問が発せられましたが、それを小熊行者は自らの霊感透視によって次々に応答して行きました。昭和6年9月満州事変が起こって、翌7年3月満州国が誕生しました。それをアメリカ、イギリス等が抗議して、リツトン報告書なるものを国際連盟に提出したので、日本の連盟脱退を余儀なくさせました。
 その頃、日米関係が次第に険悪になって来たので、三土氏の日米関係はどうなるのか?という微妙な質問に対し、小熊行者は近い将来必ず戦争が始まると言う。どちらが勝つかとの質問に対し、慎重なる態度をもって、必ず日本が敗けると言いました。どうして敗けるかと聞けば、南方の海上で日本の日の丸の国旗を立てた黒船が沈没する所が、目に見えたので必ず日本が敗けるから、この戦争はやめたがよいと云うのです。

左:中森莞卿(中森製薬

三代目中森嘉兵衛)
右:小熊行者


 一堂に会した代議士達(主として政友会の名士達)は、各々半信半疑で非難の声を挙げました。戦争に一度も敗けたことのない日本がそう安々と敗ける筈がないと。それに、小熊行者は、そんなに疑うなら皆さんの過去の運命を見てみましょうと、次々に見てゆきましたが、不思議なほど的中し、将来のことまで透視しました。その名士達の中、只一人「あなたは晩年になって成功します」と言ったのが、川島副総裁であったのであります。
 そんなに的中するなら、あの日露戦争当時の予言者、隠田の行者(飯野吉三郎氏)のように政府の御用として、出京しないかという要望でありました。
 そこで、私は小熊行者に聞いたところ、神様にお伺いして見ようと言って、応接間のすみっこに行って何か称えていました。暫くして着席して皆の前で、自分は東京に出て来るのは否やだと言いました。どうしてかと聞けば、神様が東京は危ないから出るなと云いましたと。さらにどうしてかと尋ねれば、近いうちに戦争が始まると東京は焼け野原になるからだと言うのです。どんなに口説いても、頑として応じようとしないので、止むなく再会を約して実験会を解散しました。
 その後、間もなく昭和12年(1937年)7月、日華事変が始まり、戦火はますます拡大され、欧州では昭和14年(1939年)にドイツ対波英仏戦争となって遂に第二次世界大戦が勃発し、昭和15年(1940年)には日独伊三国同盟が結ばれ、更に進んで昭和16年(1941年)独ソ開戦となり、この年12月8日、日本は突如真珠湾を奇襲攻撃し、米英に対し宣戦を布告して太平洋戦争となり、いよいよ本格的第二次世界大戦となったのです。
 その結果はどうなりましたか。小熊行者の予言通りに、日本の海軍は南方の海中で全滅し、日本の陸海空軍は米英軍のために徹底的に撃滅されました。大東京は空襲で丸焼けとなりました。
 現代の世の中に、これほど奇跡的な大予言が又とありましょうか。私(中森完卿)は今日まで、この秘密を公表しませんでした。第二次世界大戦に日本が参戦したら敗けるから、止めたがよいと云う人はその頃幾人かありましたが、それは極めて常識的であり、人心を動かすに足らなかった。そして必ずしも予言ではなく理屈でありました。むしろ其頃の反戦者は拘束されたり処罰されました。
 第二次世界大戦は否や応なしに、必然的に始まる宿命であって、日本は必ず敗ける、その結果が
時間を超越して先見として示現しているのですから、それを人力を以て如何んともすることは不可能であったのです。その大戦を予言の力によって食い止め、或は透視予言の策戦によって勝戦に導くことは不可能であります。
 翻って、日露戦争は一国同志の戦争で、日本が必ず勝つ戦争であったので、すべての環境が日本に有利であったのであり、第一次世界大戦も日本は参戦して対独戦争に勝ち、南方に進出して漁夫の利を占め大捷しましたが、第二次大戦では小国を味方とし、世界の大国を相手として戦ったために、すべての環境が不良となり、遂に宿命的に敗戦したのです。要するに、敗戦の原因としては、当時の日本指導者即ち日本丸の船長が、羅針盤を見違えて、日本の進むべき進路を誤ったからであります。
 川島邸での実験会で、小熊行者はもし日本が勝つ戦争であったなら、日露戦争当時の隠田の行者と同じく、屹度、時の政府の御用を務めることを承知したに相違ありません。敗け戦さの軍師となることは、恰も、大阪城を枕にして討死した軍師真田幸村の後を追う結果となります。

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 明治の元勲後藤新平伯の御曹司と称せられる、川島正次郎氏が、この記録を披見されたなら、その当時を回顧され微苦笑されるでありましょう。その際会合された名士の中、最後まで生存された人は、他には麻布に平井良雄弁護士あるのみであります。
 三土元鉄蔵相、川島代議士達が、政友会の中堅として、時代の予言者小熊行者を中央に起用しようとしたのは、確かに先見の明があったと言えましょう。只日本の敗戦を観破していたので、それに応じ得なかったのであります。
 すなわち、私のいわゆる「運命の法則」たる「人間の運命は自己の行為と環境の支配を受ける」と言うのであるから、日本の運命は大強敵たる環境の支配を受けるを知らずして、先見不明の無謀なる戦争行為を行使したので、終に敗戦したのであって、それは偶然ではなく必然的結果であったのです。むしろ、米英の強敵よりも、神仏の加護により勝てると思った迷信的他力本願の、その卑しい群衆心理こそ日本の大強敵であったのです。

 因みに、行者小熊聖峰(本名 鬼子太)君は、どんな経歴の人物であるか茲に御紹介しましょう。
 私(中森完卿)が昭和7年10月、東京都渋谷区南平台に在住中に、第二世界大戦の予言書『世界はどうなる』を出版した後、従来の研究が純粋の科学的予言であったので、これを裏書きする未知数の何物かを求めていました。
 たまたま、昭和9年の8月自ら心身の修行をしようと思い、上州赤城山の中腹なる不動院に入場し、不動の瀧に打たれて1ヶ月間盛夏の中に修行したのです。その間に偶然か必然か、隣りの部屋に泊っていた長髪の行者がすなわち小熊行者であったのです。
 聞くところに依れば、同君は十数年前、昔、上杉謙信公が刻んで奉納したという不動明王の像を祭った赤城山の不動院に入門して満10年間、不動の瀧(高さ3メートル位)に打たれて苦行したのです。それが再修行のため山に昇っていたのです。そして毎日接近している間に、多年修行の結果、霊感によって何でもよく見えることが判りました。
 そこで色々試験して見ました。すると不思議なほどよく物ごとが的中します。人事百般即ち人の運勢や結婚問題、時局や政変、株式相場の変動など色々指導しつつテストして、漸く自信を得ました。其後、小熊行者は千葉県の自宅に帰って更に研究に没頭しました。
 それから、昭和10年になって始めて政界の名士達と実験会を開いたのであります。
 行者小熊鬼子太君の鬼子太の名は、彼が鬼子母神様の命日に生まれたので、そう名付けられたのだそうです。生まれ乍らにして、何か、神仏に因縁があったのでしょう。彼の出身地は、新潟県の長岡市であり、家は代々造り酒屋でありましたが、自分の兄貴(長男)が放蕩者であったので、その兄貴の性根をたたき直してやると云うて、赤城山に登り、不動の瀧に打たれて修行したのです。するとその中、兄貴はそれに目覚めて遂に真人間になって、生業に着いたと言うのであります。
 私
(中森完卿)は、小熊行者を試すとき、最初に君は眼を閉じていて、色んな物が見えると言うが、その物には色が見えはせぬかと聞けば、いや形だけで色は見えないと言いました。そこで、私はその自然の色に自ら気付かないのだと考えて、それなら、私がある問題を出すから、それに答える物を見なさいと言って、ある問題を出しました。
 はじめ或人の結婚問題を出しました。すると、その答として奇麗な赤と青の朝顔が4つ咲いている姿が見えたと言いました。次に或人の運勢を見るべく問題を出したところが、今度は黄色く実った稲穂の先に、黄金色の玉虫が1匹止まっている姿が見えたと云うのです。
 これを「超時間透視」と言うのですが、その原理として「色」と「形」と「数」の三原則に依り、これを判断して的中するのであります。
 依之観是、第二次世界大戦に日本が挑戦せねばならなかったのも、皆な宇宙万有創造の「造化の神」の摂理であり、日本の運命であったと解釈すべきでありましょう。
 ニッポンが日清、日露で勝ったばかりに、国民の大部分が思いあがり、戦えば必ず勝つと云う誤った信念を持っていた。その満心が第二次世界大戦の敗因となったのであります。勿論、わが国民を指導した時の政治家や軍部が、その責めを負うたわけではありますが、ひとり其等のみの罪ではありません。要するに国民全体の責任でありました。 
 日露戦争にもし日本が敗けていたとしたならどうでしょう?今日既に日本と言う国は存在しなかったかも知れません。有ったとしても、北海道や朝鮮は帝政ロシアの領土となっていたことは間違いない所でしょう。そうすれば、第二次大戦が始まっても応戦出来なかったでしょう。日露戦争は日本から仕掛けたものでなく、帝政ロシアから挑戦したものであることは周知の事実です。ロシアこそ好戦国でありました。それさえも、反戦論者は日本は当時戦争してはならなかったと言うでありましょうか。
要するに、若し日本が第二次大戦に勝っていたら、戦争に反対する者は無かった筈です。即ち、戦争反対の心理は、敗戦国のみに存在するものです。勝てる国、米英ソなどには真の反戦論者はない筈です。日本の反戦論者は、戦争したのが悪いと言うけれども、その当時は国民の大多数が好戦論者であったようです。それが日本の運命を決定したのであります。
 前述のように、当時洛陽の紙価を高めた、昭和7年10月出版の『世界はどうなる』の中に、向う十年以内に必ず第二世界戦争が始まる、そしてその戦争で、日本は世界の貧乏国を味方として戦うことになるから、印度その他の弱小国植民地を必ず独立させると言う予言をしましたが、果して其れから10年以内に第二次大戦が始まり、大戦後、印度はイギリスの桎梏(しつこく)から逃れて独立し、更に東西パキスタンに分離し、ビルマ、タイ、アフリカ諸国、インドネシア、南ベトナム、マレーシア、オーストラリア其他の属国(植民地)の大部分が自主独立したではありませんか。終戦後、北朝鮮、韓国、台湾等は日本から分離して独立しましたが、他国の植民地だけ独立させて、日本の属国だけを独立させなければ、片手落ちとなるので、これも分離独立するのは当然であります。前述の昭和7年に、向う10年以内に第二次大戦が起こると予言した通り、それから6年目に日華事変が起り、8年目に第二次世界大戦となり、10年目に独ソ開戦となり、太平洋戦争が勃発して居ります。
 その植民地独立を、世界の人々は皆な戦争のため、勝手に独立したように考えていますが、そうではなく、第二次世界大戦の起らねばならなかった理由の一つ、即ち日本が世界の大国を相手に挑戦した理由の一つは、弱小国(植民地)を大国から独立させ、世界の弱小民族に「民族自決」の自主独立権を与える ミッション(使命)を受けたものと見るべきでありましょう。

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 昔から神国と称せられた日本の使命は、恰もイエス・キリストが、十字架にかかり、貴い犠牲となって世界人類を救うべく立ったのと同様であり、貧乏のどん底に多年酷使された可憐なる国民を救済する為でもあったのです。それが日本の貴い宿命であったのであります。
 この造化の神から授かった貴いミッション(使命)は、更に将来も続くのであって、戦争に敗けたからそんな使命なんかないと言うのは、日本の将来や世界の動向を知らない者の言い草であります。それは之から諄々として説き来たる論説によって実証するでありましょう。
 果して、わが日本にそれだけの使命があるかどうか。先づ読者は疑うでありましょう。その通りです。現在の日本は敗戦後、アメリカの御厄介になって、一々相談せねば手も足も出ない状態であります。ソビエトからは千島や樺太、朝鮮等を占領され、手足をもがれています。まるで手足のない「だるま」に等しい。その「達磨」こそ現在の日本の真実の姿であります。
 いわゆる「達磨」は七転び八起きです。日本が七転びして八起きする時が来たなら、その時こそ、日本の使命の殆んど大部分が果される時でありましょう。即ち最後に敗けて勝つ実相であります。併し、もう既にその時期は来ています。
 若し、この世界から一切の戦いと言うものが、無くなったなら、その時は人間は無気力なものとなり、科学の発達と、人類の発展は止まって了うでしょう。第一次世界大戦の科学の副産物が空飛ぶ飛行機の発達であり、第二次世界大戦の科学と戦争の副産物がミサイルや人工衛星の宇宙世紀の発見であります。すなわち、戦争が人智による科学の極致を生み出したのです。逆説に言えば、今日科学が長足の進歩を来たしたのは、全く戦争のお蔭であると言えましょう。ただし、戦争を礼讃するものではありません。
 日本国民は、日本が神国であるなら第二次大戦中神風が吹いて、必ず神が助けに来るぐらいに、宗教的に他力本願的であり、非科学的であり、真実ではなかったが、然し、過去において、そういう事実があったからでありましょう。
 例えば、元冦の役に突如台風が襲来して敵艦を撃滅させるに力を添えたように、又日露戦争の始め、照憲皇后の夢枕に、幕末の勤王の志士坂本竜馬の姿が現れて、「必ず日本海軍を守って日本を勝たしめます」と言った。その言葉のように、日本海々戦に帝政ロシアのバルチック艦隊を対馬沖に全滅して大捷を博しました。これを神わざなる天佑神助と言いました。此の時の秘められた真相秘話を発表しましょう。
 
文学士浅野和三郎氏がその著者『照魔鏡』の中に、次のようなことを書いています。
 『皆さんもご承知の故秋山海軍中将、この人は日露戦争の時には、まだ中佐で、東郷大将の参謀であり、海軍部内の鬼才として雷名を謳はれましたが、全くそれだけの価値がありました。
何故かと云うに、秋山さんは私共の所謂、極めて鋭い第六感の所有者であったからです。秋山さんはその破天荒の能力を活用して、何遍日本の海軍をその危機から救ったか知れません。公平に考えて秋山さんは、日本艦隊の眼であったのであります。
 
中でもっとも素晴しいお手柄は、日本海の海戦を3日前に予知して居ったことであります。私は秋山さんから当時の真相を親しく承わりました。これが秋山さんの言葉です。
 あれは確かに5月24日の未明でした。当時我々は鎮海湾にすっ込んでいたんですが、バルチック艦隊が何処へ出て来るかが判らないので非常に心配しました。
 我々は連日連夜、着のみ着のままで、オチオチベットに寝るというような暇は無かった。24日の晩には徹夜で、馬鹿に疲れたので、僕は士官室の安楽椅子に転っていると、ついうとうととして、夢とも現とも言われない境涯に入って行きました。
 僕は何時でもそんな時に霊示を受けるのですが、この時も矢張りそうで、僕の閉まった眼の中に、対馬東水道の全景がアリアリと展開した。ハテなと思って見ていると、やがて南の方から我々の夢寐の間にも忘れることの出来なかったバルチック艦隊が、不規則な二列縦陣を造ってノコノコやって来やがる……。
 僕はそれを見た瞬間、占めた!と思った。此奴アT字型を描いて奴等の先頭を圧すればいいのだ……。つまり、その瞬間に策戦計画がすっかり定ってしまった。
 これでいいのだと安心すると、眼の中の光景がスウっと消えて了った。
 それから、いよいよ5月27日のあの日本海の開戦となったのですが、三笠の艦橋から始めて敵の隊形を見た時に、それが一分一厘の相違もなしに、3日前に目撃した所と一致しているので、びっくりしました。
 どうも霊という奴は、将来の事がよく判るものらしい。あの日本海の海戦の報告は、僕が筆を取ったのですが、どうしても真先に天佑と神助とによりて、と書かない訳にはゆかなかった。あれが僕達の本音なのです。』

 史実に依れば、日本海々戦の時、遙か彼方にバルチック艦隊が見ゆるや、旗艦三笠のブリッヂで『皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ』との信号旗が打振られました。
 それに依って、日本艦隊は死力を尽して遂に敵艦隊を全滅させました。その大捷は、時の指令長官東郷大将の策戦に依るものとのみ解せられていました。併し、その参謀に秋山中佐のような鬼才が居たからこそ、その実力を発揮したのでありまして、独りの大将のみの手柄ではなかったことは明白でありましょう。これは秋山中佐の偉大な「霊夢の実現」であり、 而して「霊感透視は必ず的中する」有力な実例であります。

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 秋山参謀の第六感即ち霊感(インスピレーション)は、実に破天荒の実力がありました。この疑う余地のない事実を、現代の科学によって、理論的に解釈が出来るのでありましょうか?恐らく不可能でありましょう。すなわち、之は現代の科学を超越した絶対神霊≠フ「霊感透視」であるからであります。当の本人さえも、その理由を知らないのであります。宇宙世界には、未だ科学によって解明の出来ないことが沢山あることを銘記すべきでありましょう。
 日露会戦の勝因は、数うれば色々ありますが、その一つは、未だ知られない点において、海軍では 坂本竜馬‐照憲皇后‐秋山中佐 の関係であり、陸軍では当時関東軍司令官であった児玉源太郎大将を援けて、最後の奉天会戦(明治38年3月10日の総攻撃)の策戦を予言して、終戦のチャンスを与えて大捷せしめた隠田の行者、飯野吉三郎氏でありました。
 其他では、日本軍が御稜威の下、広島の大本営に帷幄の中に謀(はかりごと)を廻らせられた、神武天皇以来の名君明治天皇の策戦の宜しきを得たことと、反面ロシア軍の策戦が、故国を遠く離れて旅順あたり迄遠征したことが、敗因の1つでありました。恰もナポレオンやヒットラーがモスクワ迄遠征して敗戦したのと同然であります。
 ニッポンは、日露開戦前に外務大臣小村寿太郎の手に依り、日英同盟を結んで国際間の調整を計り、他国の介入を許さなかったこと。そして、海軍ではバルチック艦隊を全滅させ、陸軍では、乃木将軍が203高地を1年もかかって旅順と共に陥落させ、奉天陥落を最後に停戦したことであります。
 その停戦後、アメリカのルーズベルト大統領が、好意を以て調停役をつとめ、ポーツマスにおいて小村外相全権が、日本に有利に講和条約を成立したのに、外相帰国後、不満を称えて焼打ち事件を起こした日本人の欲の深さには呆れて了います。その結果は長時間的に押して知るべしです。即ち「その欲の深さ」が第二世界大戦の敗因ともなったのです。外人が「日本人は反省が足らぬ」と言いますが全くその通りです。
 日露戦争当時、軍資力に乏しい日本が、シベリアの国境までロシア軍を追撃すれば、敵を奥地に逃がしてしもう事になり、4、5年も戦えば遂に敗戦となるでしょう。
 恰も、第二世界大戦において、日本が開戦第2年目に、イギリス領のシンガポールを 落させた時、英国から停戦協定の話があったのを拒絶した。それを素直に受け入れて会戦二ヶ年にして停戦していたら、日露会戦と同じく勝利の中に終戦となったでありましょう。
 当時、軍人の政治家東條首相等の策戦が、日本の進路を誤ったのであります。
 明治天皇は、軍人が政治に参与してはならぬと戒められていたのを聞かずに、昭和6年の満州事変以来、昭和7年には五一五事件を、昭和11年には二二六事件を引起して、日本の青年将校が政治家を銃殺したりして、日本の政治を完全に軍部が掌握し蹂躙して了いました。その結果、第二次世界大戦では、9千万国民を行くところまで引きずってゆき、那落の底に突き落し、原爆地獄の惨劇を与えたのであります。
 第二次大戦以前から中国と交戦し、満州事変から日華事変となり、南京から重慶の奥地まで蒋介石を追い込んで勝利の中に敗けてしまいました。その間、15ヶ年の長きに亘りました。日清戦争も日露戦争も同じく2ヶ年で終結したからこそ勝ったので、日華事変のように5年も10年も戦えば必ず敗けます。すなわち、勝てる戦争を敗けたのが大東亜戦争(太平洋戦争)であったのです。
 併し、大乗的見地から検討すれば、第一次大戦は勝戦であったが、第二次大戦は宿命的に敗戦であったのです。ソビエトは、1914年の第一次大戦では、ドイツに敗戦して1917年に大革命を起こし共産主義国となり、1939年の第二次大戦では勝っているが、1904年の帝政ロシア時代には日本に大敗しています。どうも戦争に敗けると共産主義国に転落(転向)するようです。中国も第二次大戦中、日本に敗けて共産主義国に転落したように思はれます。その日本も敗戦国だから終に共産国に転落する所を、或るものに救われたのではないかと思考されます。併し、それが果して何時まで続くか甚だ疑問であります。
 地球上には、人口の自然淘汰という自然法則があります。従来はその人口調節のため10年毎に又は2、30年毎に戦争に依って人口の増加を制限して来ました。或は大震災などにより人口は制限されました。例えば、日露戦争の時日本では20万人の戦死者があり、関東大震災の時やはり20万人の死者を出しました。第二次大戦では日本人だけでも300万人の犠牲者がありました。
 日本やドイツのように、人口過剰の国では必然的に戦争の悲劇から逃れることは不可能でした。人口過剰国は、自然的に好戦国となり侵略国となりました。イギリス等もその部類に属します。英国はその昔、本国は小国であったから、将来人口過剰国となるを恐れて海外に雄飛し、海賊船に等しい行動を以て、未開の植民地を侵略して我物としました。それは18、9世紀時代における最も優れた侵略法であり、その時機を得たものでありました。インド、アメリカ、カナダ、アフリカ、オーストラリア等は殆んどイギリス人の侵略地であり植民地でありました。当時、フランスやオランダ等も、アフリカやインドシナ其他の植民地を侵略しました。
 ヨーロッパ人とアジア人とでは、その人種が人種発生の原始時代から異っていたのであり、前者は肉食人類で、後者は菜食人類でありました。欧米人は肉食が好きだから、ライオンやトラ等の獣類に似て、その行動が積極的であり、海外に発展する性質を有し、アジア人は野菜や果実等を主食としていたので、その性質が消極的であり、草食の牛や馬に似て発展性に乏しかった。その性質が将来大いなる差を生じて、ヨーロッパ人が海外の未開の領土を殆どすべて占領してしまい、アジア人が目醒めた時には既に進出の時機を失っていたのであります。
 そのチャンスを逸した時に、日華事変や太平洋戦争を始めたので、完全に優先国に締め出しを食はされて了ったのです。斯様に、遠因を正せば明白なる結論が下せる訳であります。
 ドイツの経済学者カール、マルクスとエンゲルスが、19世紀の中頃「資本論」を著はして、ソビエトのニコライ、レーニンの共産主義国家の基礎を築きましたが、資本主義思想を変革して社会主義思想を実現する為の道を明にし、将来、資本主義は社会主義に修正されねばならぬと予言して後、ソ連がレーニンによって真先に実践され、後ち中国が毛沢東等の手により実践されました。その原動力がマルクスであり、世界の経済がどうなるかを明言した「時代の予言者」であったのです。
 前述の日露会戦の日本海々戦における霊能力者秋山中佐も驚くべき「時代の予言者」でありました。何時の時代にも、隠れた予言者の出現することを茲に銘記して置きます。

 最後に、もう一つ漏れていた時代の予言者があります。それは誰も知る法華経の行者日蓮聖人であります。
 1260年に「立正安国論」を時の鎌倉幕府に提出して、日本の将来を予言し、それから8年後の1268年に蒙古が大軍を以て侵入して来ることを予言警告しました。
 果して、それから6年後の1274年(文永11年)10月、元の国蒙古の大軍が壱岐、対馬に襲来しましたが、時の台風いわゆる神風に逢い、日本に遠征して大敗しました。
 それから又7年後に1281年(弘安4年)にも蒙古軍が高麗軍を従えて、九州の博多湾に大挙襲来しましたが、この時も7月の台風「神風」に逢い、艦船はめちゃめちゃにやられ「敵国降状」の祈願と共に、海の藻屑と化し、僅かに3人生き残ったと言うのであります。
 まことに、日蓮聖人は強力な霊感の行者であり、大いなる「世紀の予言者」でありました。宗教家として「世紀の予言者」には、世界の四大聖人の一人イエス・キリストがいますが、彼は自ら神の子といい「予言者郷里に容れられず」と称して、人類救済のため十字架の犠牲にかかって、西暦紀元の基礎を築いたのであります。


ケクレと6匹猿

芳香族化合物の基本構造であるベンゼン環の発見者として有名な独の有機化学者ケクレ(F.A.Kekule.1829-1896)は、1865年ベルギーのヘントで有機化学の教科書を執筆中、どうしても筆が進まず、椅子をストーブのそばに近寄らせて仮眠をとっていたとき、原子群が眼の前に現われ、それが6匹の猿となって円陣を作る夢をみてベンゼン6員環を思いついたといわれています。(戯画はケクレ博士自筆といわれている。)

ケクレ図書館

バイエル社はケクレ博士の死後、1897年に博士の7,000冊にも及ぶ個人蔵書を買い取り、バイエル中央図書館を創設。博士をしのんで「ケクレ図書館」と命名致しました。現在、ケクレ図書館はケルン市に近いレバークーゼンのバイエル本社敷地内にあり、40万冊以上の専門蔵書をもつバイエル社の中央図書館として日夜、多くの研究者に利用されています。

夢の中で生まれたミシンの針 (インターネット 雑学集より)

マサチューセッツの発明家エライアス・ボウがミシンの針を夢で発明した。

布を縫う機械を発明しようと3年以上も研究したが、針の糸穴の位置が決められなかったという。いくら考えても、針の部分が未解決。針の尻に穴が開いているので、針を全て通してしまわないといけないというので、悩んでいた。

そんなある夜、彼は槍(やり)を持ったインディアンに追いかけられる夢を見る。

恐怖におののきながら、ふと振り返ると、その槍の先の方に穴が開いていた。

その槍が彼を貫いたところで、目を覚ました彼は、早速、現在のミシンのように、針の先の方に糸を通すアイデアを取り入れた。

 

最新情報

カラーの夢

平成28年5月24日朝午前4時頃、カラーの夢を見ました。南海トラフ地震に関係する海域に「ひずみ」が増加していることが「真赤色」で示されていました。

特に宮崎海域が増大していることを「真赤色」で示し、後ろからアナウンスしていました。

今後「ひずみ」がさらに進み、地震や津波の発生につながるものと思われます。

注意がより一層必要になってきました。

 

最新情報 トピックス 1

大 的 中  世界大恐慌 (世界大不況) 突入 2020年3月

 

有史以来2度目の世界大恐慌(世界大不況)に突入 新型コロナ:原因 202年3月

「一生の羅針盤 経済循環の法則図表」の通り、世界経済は基本周期が10年周期で

循環していることが実証されました。

過去の世界大恐慌は192年から始まりましたが、今回の世界大恐慌は10年周期上の202年で10年の中の不況時代(西暦年数1桁の数H-0-1-A)  と同期に位置しています。

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今回 2022           2021             2020年         2019   世界大恐慌 

前回   1932                1931年                  1930年      1929年   世界大恐慌

最新情報 トピックス 2

大予言 第3次世界大戦(核戦争)の危機が迫りつつある

40年前にこの第3次世界大戦は大予言をしておりますが、その危機が迫りつつあります。

「一生の羅針盤 経済循環の法則図表」の西暦年数下1桁のCの年及び前後の年が

戦争経済危機線に入り、特にCの年が最も警戒しなくてはならない年です。

幸いにもこの年を無事に通過しても、永遠に続くことになります。

202C年−203C年−204C年−205C年−−−−−−永遠に続くか。

第3次世界大戦は近未来では核戦争だと思われますが、年代が進むと地球人同士の戦争ではなく、宇宙人との核戦争以上の武器による戦争ではないでしょうか。宇宙にも目をやり、警戒しなくてはなりません。

 


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